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ペイントハウス ジャンク

代表 川瀬 晋二

1961年名古屋に生まれ

1999年2月ジャンク開業

 

 

 

それでは始めます!!!

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整備士を目指して

もともと機械いじりが好きだった私は大学へは行かずに自動車の整備21 (2)専門学校へ。

このころからラリーを始めました。スポーツでもなんでも観戦するよりやるほうが好きでしたから、モータースポーツ同じ、ナビゲーターでしたが遠征なども行ってました。 

今では考えられないのですがローカルラリーでも60台の枠をオーバーする参加申し込みで選考があったという時代。今では60台集まる事なんてないらしいですね。さびしい話です。

そして、トヨタディーラーの愛知トヨタに就職。整備の道では当時かなり難関と言われたトヨタ検定の一級もストレートで取ることが出来、数年後に整備技能コンクールの選手に選ばれてしまいました。

愛知トヨタは全国大会の常連で優勝も何回かしているので地区大会はトップ通過が当たり前、全国も入賞前提で話が進んでいると言う、結構なプレッシャー。その上会社の寮に半年間缶詰での特訓です。当時選手の事を”特訓生”と呼んでいましたからね。

特訓と言うからには結構きつかったです、朝から実技、昼からは学科、夕飯の後にその日のできなかった問題を再度やりなおし、寮に帰って風呂に入ってさらに過去問をやる日々。

今ではもうメカ的な仕事って減ってしまいましたが、当時はまだデフやミッションなどの分解がありました。わかる人にはわかると思いますが、デフのピニオンシャフトのベアリングの交換を11分、FF用のミッションの五速ギアの交換を12分でやるとか訓練するわけです。

エンジンなどでは今ほど複雑ではないですがTCCSというものが出てきたころで、出題車は決まっていたのでそれの配線図をほぼ頭の中に入れてトラブルシューティングをします。配線図めくっていたら時間がぜんぜん足りませんから。

実際の仕事とはかけ離れてはいますが役に立った事は間違いありませんね。

おかげ22 (2)さまで全国大会も2位という成績を収めることができました。写真は相棒のK君と監督のSさん。当時我々の事を知る人たちは、”努力のK君、運の川瀬”なんてひどいこと言ってました(笑)

 

 

今は塗装を主体にやっていますが整備の経験は今の仕事にも非常に役立っています。

さて、そんな立場にいましたからサービス本部の人たちともツーカーな訳です。

塗装の道へ そして出会い

そして、愛知トヨタも板金塗装を内製化するというプロジェクトが立ち上がりました。そこでサービス本部から”川瀬、お前やらんか”の一言に、新しい事大好きな私は飛びついてしまったわけです。

当時のサービス部長は本当に話しのわかる部長で研修後愛知トヨタに入っている外注さんのところへ研修と言う名目で丁稚に出してくれました。

この外注さんがとても腕の良いところで、新車の補修もやっていたのですが当時とても難しいと言われていた、3コートパールの補修をトヨタ自動車が全国のディーラーでその補修をやらせたところ一番と言う評価を貰っていたのでした。

そこでは新車の補修と言うほかでは経験できないような事をまだ始めたばかりのひよっこにやらせてくれた外注さんの社長には本当に感謝しています。

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新しく立ち上がった工場のスタートメンバーとして今度はまた別の外注さんと仕事をする事になりました。

その外注さんと言うのがまた腕の立つ人で、塗料メーカーの人間がある程度お世辞も入っているかもしれませんが、彼らは私の知っている限り日本では五本の指に入る職人さんです、と言い切っていました。

その仕事を見たときはちょっと衝撃を受けるほどの腕で、これは大変なところに来てしまったというのが本音だったと思います。

しかしながら、腕も良いし、人間的にもとても出来た本当の職人と呼べる人たちだったのですが、つねに新しい事をやっていかなければならない整備の仕事をしていた私から見るともっと新しい事を積極的に取り入れればよいのに、最新設備のこの工場がもったいない、と思ったわけです。

その職人さんたちに、新しい技術を取り入れてもらうためには、実績を作らなければ動いてくれません。そこで身の程知らずもいいところなんですが、その職人さんに向かって”Tさん、われわれはこんな方法で作業をします、それがTさんの認められるレベル、スピードで実現できたら、Tさんも同じやり方に変えてください”なんて言ってしまいました。塗装初めて一年足らずの駆け出しが、、、

そこからはもう必死です、会社は合理化のためにはこの方法でやれ、でも職人さんはそれでは良い仕事が出来ない、と。

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けんかしているわけではありませんから、Tさんにもアドバイスを貰いながらわれわれスタッフの中でも検討し、メーカーにも協力してもらい練習して、練習して、練習してある日


”おまえらでそれだけ出来るなら、俺ならもっとうまく行くでよう、それでやったるわ。お前の勝ちだな”

そりゃ嬉しかったさ。

この二つの出会いがいまの自分のバックボーン、自信になっていることは間違いいありません。

最初はとにかく自分の技能をあげる事ばかりに目が行っていましたが、3年も経つとだんだん又新しい事に挑戦したくなります。そしてとり入れたのが分業制。板金と塗装、大雑把なくくりでは分業されているのですがさらに細かく、フレキシブルに行う事によって効率をかなりあげる事ができました。

そして転勤、それぐらいのタイミングでサービス部の部長が変わります。その部長がまあ、営業出身ですからとにかく個人主義。個人個人の評価をして競争させろと言うわけです。

そしてその部長が面談に来た。いろいろ説明した、場所の制約、道具の制約云々、だからチームで仕事したほうが良いと。これだけ説明すれば納得するしかないよなあと思っていたら

”君の言っている事は意味がわからん、とにかく個人で競争させろ”

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ジャンク開業

トヨタではいろいろな経験をさせてもらいました。コンクールもそうですし、普段の仕事の中での改善、QCサークルで本当の原因を追及しての問題解決の方法、お客様との接し方等等。それが今のジャンクに生かされていると思います。

そして数か月の準備期間を経てジャンク開業です。ジャンクという名前、よくお客様になんでジャンクなの?と聞かれますが、開業前に車好きの仲間が集まっているときに店の名前なんにしよう、という話になりました。いろんな案が出ましたが、みんな自分の車は大事だけど世間から見ればガラクタみたいなもんだよね、だからジャンクという名前はどうよ。

04ということでジャンク決定。ペイントハウスというのは息子の提案です。

オープン当初はトヨタの時の後輩と二人でした。この後輩というのが私より先にトヨタをやめてラリーショップでは働いていたのですが、その店が倒産、そのとき偶然あまり人に言えないようなところで(笑)私と会って、”今何やってるの”という話からじゃあ一緒にやろうということで立ち上げメンバーとして働いてもらいました。

 

我道を行く

最初のうちはトヨタの時のつてで仕事をもらったりしていましたが、なんか違うよなあと思いながらもなんとかやっていたのですが、ある日ちょうど昼休みの時間帯に用事でトヨタに行ったときのことです。

”○○さんはいますか?”

”は?なにこんな昼休みに来てるの、まったく外注なのに何考えてるんだ”

ぐらいのこと言われてやはりこれは自分の目指す道ではないと確信しました(笑)

ちょうどそのころ丸ペン屋というものを思いついていたので、自分の進む道はこれしかないと考えました。

丸ペンというのは業界用語で全塗装のことです。全塗装98,000円~と謳えば走り屋のお兄ちゃんたちがいっぱい来るだろうと考えて、ひたすら安くやるためにはどうすればよいかを考えました。

工程を考え若い従業員に作業をさせて、それをすべてビデオに撮って工程の研究をし、とにかく早くやるためにはどうするかを考えていたのです。

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ふたを開けてみると、若い走り屋のお兄ちゃんはお金がない、98000円でもなかなか手が出ないということがだんだんわかってきたのです。でもぽろぽろ入ってくる仕事はそこそこ年配の方のどちらかというと趣味の車というべき車が入ってきました。

そんなある日、電話の問い合わせで930のスピードスターが、いま色替えされて紫になっているが、これを元の色に戻したい、という問い合わせが入ったのです。

今でこそポルシェはたくさんやっていますが当時はまだ数えるほどしかやったことがなく大丈夫かなあと思いつつもお客様と話してみると、

関東の方でしたがお客様曰く、愛知はトヨタのおひざ元だからか腕はいいけどリーズナブルにやってくれる店が多いという印象を持っているから、という理由になるようなならないような理由でジャンクを選んでいただきました。

23 (2) ご用命はエンジンまで下して完璧にやりたいとのこと。うーん、元整備士の血がうずきましたね(笑)

無事エンジンも下ろして塗装も終わり組み付けの最中に何かの用事でお客様に電話をしました。そしたらお客さんが”川瀬さん、私黒って言いましたっけ、最終的にしろって言ったと思うんですけど”

え゛ーーー、確かに色について話していた時に黒か白か迷っていました。

”まあまあ、塗っちゃったことだし黒もいいなと思っていたからいいよ”

と言っていただきました。ただ自分の中でも引っかかります。全塗装で希望の色にならなかったらそれはいかんだろうと。周りにも聞きました。そのとき事務員さんに言われました。”すぐにお客さんのところへ行きましょう。すべてはそれからです。すぐ行ってください”迷っていた自分が恥ずかしいですね。お客さんに電話しました。

”先ほどは黒でいいとおっしゃていただきましたが、全塗装で希望の色にならなくてはだめだと思います。いまから積載車に乗って見せに行きます。実車を見て本当に黒でよいと思ったら、そのままにさせていただきます。ちょっとでも白がいいなと思ったら塗りなおしますから遠慮なくいってください”

と。

今思えば、そんなこと言われて、じゃあ白にしてなんて余計に言いにくいですよね。でもすぐ動いたおかげか、お客さん車を見てすぐに

”うん、黒かっこいいよ、これで行こう”とと言っていただき、そばまで奢っていただき話は収まりました。

その数年後にそのお客様の知り合いの方がやはり全塗装をしていただいたのですが、その方の話では、とても評価していただいていているとのこと。しかもポルシェの世界ではかなり有名な方だったようです。ほっとしました。

うちの事務員さんは何かこんなことがあると、お客さんの立場での助言をしてくれるので本当に助けられています、今ではその事務員さんジャンクのスーパー事務員として名を馳せているわけです(笑)いつもありがとう。

23 (1)そして、その時の塗装の写真がこれですが、そんな大したカメラで撮ったわけではないのに、後々のポルシェのお客様でも、この写真を見てジャンクに決めた、という方が結構見えましたね。

おかげさまでポルシェの入庫はかなり多く現時点700台くらいの全塗装の中で一割の70台ほどがポルシェで占められています。

へこたれそう

そして、順調に全塗装が入庫して会社が順調に、、、と言いたいところですがまだまだそこまでの集客は出来ません。その上元請切っちゃいましたから、結構会社としてぎりぎりのところへ来てしまいました。正直会社の存続が難しいと言うところまで来てしまい、一時的に後輩の中古車屋を手伝う事になりました。二足のわらじです。

二足のわらじと言うのは口で言うほど容易ではありません。朝ジャンクへ来て作業指示、昼間は中古車屋で仕事をして、夜又ジャンクで事務仕事、、、日曜日は中古車屋は休みにしていたのでジャンクで店番。

二年間ほとんど休み無しでした。

その間手伝っていた中古車屋さんでは何していたかと言うと後輩からは

”うちの会社を会社っぽくして欲しい”という何とも漠然とした要求の下(笑)在庫管理システムから仕事の流れ、社員教育その他会社としての基本部分の構築を手がけます。このときもトヨタにいた時の経験が役に立ちました。

そのころ前出の事務員さんが本格的に仕事を手伝ってくれるようになり、ホームページを刷新してくれました。それから徐々に全塗装の入庫も増えてきました。中古車屋の仕事も一区切りとなり、ジャンクに戻って専念する事ができるようになりました。

再出発

ジャンクに戻ってからは現場の仕事はもちろんの事、webでの集客からやる事は山積しています。

スーパー事務員の努力の成果からか検索エンジンでの検索結果が上位に表示され始めました。とにかくやれる事は何でもやりました。ホームページの更新はもちろん、今でも続いている進捗ブログや、メールマガジン、私のやる社長ブログ、スーパー事務員のやるみんから、webサイトも全塗装専門サイト、ポルシェの全塗装専門サイト、バイク塗装のサイト。そんな努力の中ヤフーの検索結果で一位をとったときは嬉しかったですねー。一番頑張ってくれたスーパー事務員と小躍りして喜んでました。しかし検索エンジン二ページ目以降と一ページ目では雲泥の、ようやく一ページ目の下のほうと一位では天国と地獄ほどの差があります。しかしこれを外部に委託せず獲得できたのはちょっと自慢です(笑)

で、多いときには月百件の問い合わせが来たり、さすがにそのときはずっとパソコン相手に仕事していた気がします。

そしてスタッフの数が多かったときには一年で100台の全塗装をこなす事もありました。そうやって実績を重ねてくると、外車の比率も増え、お客様の要求もだんだん高くなってきます。そんな中で自信を持って仕事をするためには日々の経験を基に標準化をしたり、過去の失敗を記録して残したり結構トヨタ方式を目指したりしています。

職人、、、でもないな

よく、川瀬さんは職人ですよね~、なんてお客さんに言われます。まあやっている事はそうなんですが、自分では職人なんて思った事はなく、と言うか自分で職人なんて言っている輩にろくなやつはいないと思っています(笑)

職人がだめなんて言っているわけではなく、一流の職人と言うのは本当に尊敬すべき人たちだと思っていますし、いくら標準化なんて言っても、その標準を作るためには職人の技は必要ですし、個人がそういった技を身につけることは必要だと思っています。ただ、それだけではだめなんです。

聞いた話なのですがMURENというシートのメーカーの社長さんの話

”シートは職人にしか作れない、その作ったシートを量産できるようにするのが技術者だ。だから、どちらも必要なんだ”  と。

まさしくそのとおり、ジャンクはそれを目指します。

そして、ポルシェなどの高い要求にも応える作業標準をもって、低いご予算でも仕様を工夫する事で様々なご要望にお応えする努力をしています。

車と文化

そして、全塗装を通じていろんなお客様と接してきました。エコカー全盛の今の時代猫も杓子もハイブリッドだのエコだのいって、古い車を大事に乗っているのが悪い事のように言われてしまうことが良くあるようです。

IMG_1819あるお客様がよくドイツの出張にいかれる方でした。そのお客様がドイツで誕生日を迎えるときに現地の関係者の人が

”おー、明日はお前の誕生日か!俺が祝ってやるからうちに来い”

と言われたそうです。なにかおいしいものでも食べさせてもらえるのかと、訪れたそうです。
そしたら

”今日はお前の誕生日だから、俺の大事なポルシェに乗せてやる”

といってポルシェアウトバーンを走ったんだそうです。日本では考えられませんよね。

で、逆の話。

ある若いお客様がZを全塗装されてその後も時々遊びに来ていました。そのお客様は、年に二回世代を超えた仲間とサーキットを借り切って走行会をするのが自分の楽しみだと、よく言っていました。そしたらある日お客様が

”川瀬さん、聞いてくださいよ~”

”何?どうしたの?”

”会社で、走行会の話をしたら先輩が、お前走行会なんてガソリン無駄に使って、タイヤは減るし、そんな金があるならユニセフに寄付でもしたらどうだ、って言われちゃったんですよ”

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それはまったく別の次元の話だと思うのです。

この二つの話を聞いて、日本では車は文化として認められていないなと感じましたね。エコカー補助金とか訳のわからない施策も一時期ありましたがメーカーも自分たちの作った車にプライド無いんでしょうか。ユーザーを育てるのもメーカーの責任じゃないのかなどとも思いますが、そんな自分ではどうもできない事は言っても仕方が無い。ジャンクは皆さんの大事な車を全塗装して日本の車文化の向上に少しでも寄与したいと強く願うのでした。

ジャンクの願い

大きなことを言ってしまいましたが一番の願いは皆さんの大事な車を洗車したときに、今日も綺麗になった、と思えるよう綺麗に全塗装をする事です。日曜日は常連さんが洗車したりして、まったり営業しています。是非ジャンクで日本の車文化について語りませんか(笑)もちろんお見積もりも歓迎しております(汗)

趣味編、車遍歴編も順次アップします♪

 

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